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ネスプレッシャー、組合員大量解雇でインドネシアに逆戻り/パキスタンの組合リーダーを挑発、攻撃

25.10.11 Urgent Action
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IUF加盟労組SBNIPが団体交渉の要求支持で争議行為を行った後、パンジャンのネスカフェ工場の経営者は、労組の87名の組合員のうち53名を解雇した。(厳密には、彼らは辞表を渡された)このストライキは5年間に亘る深い落胆の結果の当然のなりゆきだった。

今年331日に、SBNIPとネスレの現地経営者は、協定を結んだ。(328日にIUFとネスレ本社経営者が仮調印した。)ついに組合がパンジャン労働者の労働協約をネスレ経営者が何年にも亘り頑固に否定していた賃金交渉も含めて交渉する道が開けた。

交渉は困難だった。そして、提案された賃金が多くの個別職種内で非常に不均等な隔たりがあることに組合が疑問を挟んだ時に暗礁に乗り上げた。組合は、これを政府の規則を遵守するものではないと見ている。交渉が行き詰まり、組合は法律要件に従いストライキ通告を提出した。そして工場の大多数の組織化された労働者を代表するSBNIP組合は、921日に作業を停止し、工場から製品が運び出されないように穏やかに工場を占有した。

会社はこれに対抗し、ストライキを違法と宣言し、仕事に戻るよう命じた。ストライキの間、労働者は電話と2通の手紙を受け取った。会社の手紙でネスレは裁判所への出頭命令を申し立てるというものだった。

緊張状態が高まり、労働者は926日に工場の敷地を出て、短期間サッカー競技場(工場グラウンド内)を占有し、その後、翌日に予定された交渉のために善意の表明で工場を去った。

しかし翌日、組合が交渉の結果次第で仕事に戻ると発表したにもかかわらず、ネスレ経営者は予定の会議に出てこなかった。

この挑発的な拒絶の後、ストライキは928日に始まり、組合は必要な場合に備えて争議行為の延長を申請した。

ストライキは、報道機関から十分注目された。10月3日に州議会の代表がパンジャンを訪れ、工場内で組合員との会合を求めた。ネスレ経営者はこの要請を拒否した。

105日の朝、現地の労働省所管がSBNIPとネスレ経営者を仲裁に招いたが、経営者は、仲裁過程で決定権を持たない下級社員を会社代表として送ってきた。組合は、この仲裁をその条項が政府勧告に矛盾する、従って非合法かもしれない協約に署名できないという主張が正しいことを明らかにする好機と捉えた。この仲裁で、組合はストライキを同日午後1時に終了する旨合意した覚書に組合委員長エコ・スマリョノとネスレ経営代表者が署名した。この覚書は労働省が準備し、そして証人になったものだ。

重要なのは、この文書の中で921日ー105日のストライキは、違法と言及されていないことだ。

ストライキは、合意に基づき午後1時に終了され、そして午後627分と午後752分の組合とネスレ経営者間の電話で、労働協約に最終的に署名することを話し合うために翌日10月6日の朝に会うことが同意された。しかし105日の午後10時にネスレ経営者は組合員の大量解雇を始めた。

ストライキが合意通り105日に終了された時、第二交替勤務の組合員は午後2時に出勤し、経営者が機械を再稼動させていなかったが、交代勤務を終了した。

しかし、第3交替勤務の組合員が午後10時に職場に到着すると工場の門に警備員が非常線を張って、機動隊が工場敷地内で待機していた。警備員が組合員の名前を読み上げ、一人一人に辞表を手渡し、立ち去らせた。同じ辞表が自宅にも送られた。106日に10数通の辞表が出された。

ネスレは、労働省の援助で対立が解決し、会社と組合が署名した正式な覚書に従いストライキが終了した後にこの非道な対応をしている。さらに信じられないことは、組合が労働協約の署名に合意した後で、ネスレ経営者が大量解雇を続けたことだ。 会社のこの極端に不誠実なふるまいは、争議が解決してもしなくても、組合をつぶそうという会社の意図を露わにしている。これはストライキについての問題ではなく、団体交渉権をあえて行使しようとした組合を破壊しようとするパンジャンのネスレ経営者による5年間の攻撃が最高潮に達したものなのだ。(ネスレが皆さんに絶対知ってほしくないことー参照)

この強制辞職の受け入れを拒否し、職場に復帰する決意を表明するために、不当に解雇された組合員は10月5日に彼らの銀行口座に自動振り込みされた解雇手当を集めて、会社に戻そうとした。10月7日に組合と経営者の代表が現地議会の委員会により招聘された会議で、組合代表は、この解雇手当を手渡した。ネスレ経営者はこのためショックで口もきけなかったが、この受け取りを拒否して、退室した。

IUFアジア太平洋地域総会(2011年10月18-20日、インドネシア、バリ)で組合代議員がネスレパンジャン(インドネシア)とネスレカビールワラ(パキスタン)の労働組合権の侵害に関する緊急決議を可決。この写真は、代議員がネスプレシャーがパンジャンの大量解雇とパキスタンの組合指導者にまやかしの刑事告訴を引き起こしていることに抗議しているところ

 

パンジャンのストライキは、独立労組を結成する権利と世界最強の企業のひとつと意味のある団体交渉を行う権利を求めて闘う何年もの闘争の当然の反応である。ネスレの現地経営者は、わざとつのる不満をかき立て、労働者が未だに基本的な権利を否定されている国の何年にも亘る闘争をだいなしにするために弱点につけこむ一連の事件を画策した。

ネスプレシャー、パキスタンに広がる

2007年にネスレがパキスタン、カビールワラの工場を牛乳取扱い高で同社で世界最大の工場にするために工場拡張を行ってから間もなく経営者は組合の弱体化を狙い、活発で有能な組合委員長ムハンマド・フセイン・バティを攻撃し始めた。委員長は、経営者の組合選挙介入に抗議して6月に停職処分となった。その後、ネスレは、譲歩を余儀なくされ、バティは職場に復帰した。

しかし、組合への圧力は続き、組合が組合員資格をたくさんの契約労働者に広げ、労働裁判所に提訴して、250名の契約労働者を常用労働者にすることを(法律に従い)援助すると決定したことからこの圧力は頂点に達した。バティとIUF加盟の全国食品飲料タバコ労連は、近隣のカネワールのユニリバー・リプトン紅茶工場のカジュアルT闘争で重要な支援をした。そしてネスレの現地経営者は、不安定雇用の濫用に終止符を打つための同様の要求に抵抗する決意を固めている。

裁判所が差し止め命令を出し、経営者に裁判判決まで契約労働者の身分を変えることを禁じたが、この間に会社は多くの契約労働者を解雇し、新しい契約労働者に工場訪問をさせてわざと挑発し、何年にも亘る不安定雇用の後で常用身分を勝ち取ろうとする者は新契約労働者に取って代わられるという印象を与えた。

この超一流の施設で、不安定労働者の雇用身分の交渉という組合要求に応えるどころか、経営者は、組合と委員長に反対するよう地元の世論に働きかけ、一連の事件を起こし、挑発を行った。まやかしの刑事告訴(やがて裁判所で却下された)をしたり、組合を攻撃するために過激な宗教団体をそそのかしたりした。1010日に、バティ委員長は、工場入り口で警備員に止められ、4間の停職を告げられた。それ以来4日間の停職が繰り返されている。

ネスプレッシャーを中止せよ!

ヴヴェーのネスレ本社経営者に、パキスタンの経営者は、カビールワラ労組と誠実に交渉を始め、組合員と組合役員に対する脅かしと解雇を止めるべきと訴えよう。インドネシアでパンジャンの現地経営者は、無条件に解雇されたSBNIP組合員を職場復帰させ、誠実に長期に延期された交渉を開始すべきと訴えよう。

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