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WTOで食の権利の売り払い

24.01.12 Editorial
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昨年121517日のWTO閣僚会議の出来事で唯一留意すべきことは、この会議がWTO事務局長パスカル・レミーに食の権利に関する国連特別報道官オリビエ・デ・シュッターを攻撃する機会を与えたことだ。本会議用のデ・シュッターのブリーフィングノートは、WTO加盟国が食の権利確保の義務を果たせるようにWTOの規則の抜本的改革を呼びかけたものだ。デ・シュッターは、「WTOは、人類の幸福を増幅させるための貿易奨励ではなく、WTOの利益のための貿易増大という時代遅れの目標を追及しつづけ、食料保障政策をこの道から外れる歓迎せざるものとして扱っている」と書いている。

これに対するレミーの回答は(ウェブ上で「反論」と掲載されたが)、この批判が真実 だということを証明している。

レミーが率いる組織の抗弁は、3つの主張に基づく。3つともすべて全くの自己言及で、デ・シュッターが起点とする現実にまったく言及していない。つまりそれは、WTO体制下における農産物の世界貿易の成長は食料保障不安の増加を伴い、現在の世界貿易規則が国内の食料生産を保護・促進する開発途上国の能力を制限する限り問題である、ということだ。

レミーは「まず、WTO規則が食の権利を侵害しているというのは真実ではない。というのは食の権利はWTO農業協定で触れられ、言及されているからだ」と述べた。そして「政府は、国際的な義務の範疇で食料保障を達成する政策を追求する主権を有す」と言った。しかし、言及されただけでは誰も食料を得られないし、この協定の規則が現実の世界に与える影響を調査せよというデ・シュッターの呼びかけにも応えていない。

更に、各国政府は、食料保障を促進する政策を追求する主権を有するだけではなく、国際的人権へのコミットメントにより、政府にこの政策目標の追求を義務付け、この基本的な人権の進歩的実現を確保するために具体的に行動することを義務付けている。これが食の権利の意味である。これは、他の(商業の)国際的義務に関連して条件や制限を受けたり、それに劣る権利ではない。

第二に、食の権利のコミットメントを満たすために国々が過度の農産物貿易依存を制限しなければならないというのは、間違った主張であると、レミーは続ける。その証拠は、IMF、世界銀行、OECDFAO、そしてWTO自身を含む組織がそう言及しているからだ。

「さらに証拠が必要ならば、実際、WTO加盟国は、食の保障を確保する能力を強化するために、同じ土俵を目指して農業交渉をおこなっている」とレミーは述べた。この主張は、単にデ・シュッターが徹底的に調べている問題を繰り返しているにすぎない。すなわち、現実世界で、農産物の貿易の増加は、食料保障の増加を意味するかどうか、もしそうでなければ何をする必要があるか、という問題である。

レミーによると世界は次のようになる。「首尾一貫したマクロ経済と構造経済の戦略の一部としての貿易により、資源が比較優位性に基づいた配分に向かい、非効率を排除する傾向に向かう。公平な価格の合図を知らせる伝達強化に呼応して、競争力を持つ生産者は、彼らの生産と投資決定を調整する。この供給反応は、価格プレッシャーを緩和し、手ごろな値段の食料がより入手しやすくなる」

レミーの自由貿易の決まり文句の陳腐な表現に少し修正を加えると、農産物の世界貿易を支配する大手貿易業者と加工業者が享受している比較優位性が説明されるが、手ごろな価格の食料がますます入手不可能になっている説明にはならない。

デ・シュッターは、「これは理論上の食料保障のようだが、華々しく失敗したアプローチだ。弱者が飢餓と貧困に追いやられているのが現実である」とレミーへの回答で言っている。

本質的に、WTOは、現行の貿易体制で引き起こされた社会荒廃に対し責任を取れない。農業は、生活の糧の源としてではなく、貿易可能な商品源として見なされている。WTO規則は、食料危機を裏打ちする真の問題を考慮から外すことを要求する。レミーへの回答で、デ・シュッターが再び取り上げた質問、「誰が誰のために生産するのか?いくらで、どんな条件下で、そしてどんな経済的、社会的、環境的影響があるのか?」は、WTO規則の下では受け入れられない。

レミーは教科書の公式を空論的に繰り返し、大規模な社会的環境的危機の存在を認識しない。その中で増加する世界の飢餓は強い表現であるが、「飢餓」という表現は、実際レミーのデ・シュッターへの手紙では欠けている。彼は、世界の飢餓者の半数がなぜ食料生産者であるかを説明できない。なぜなら彼は、「どうして?」と問えないからだ。

彼は、WTO結成以来、効率的な価格配分が、なぜ食糧不足を抱える後発開発途上国の食料輸入費を600%増加させたか説明できない。FAOは開発途上国の今後の穀物輸入費の記録的な増加を予想しているが、これに対し彼はすでに失敗した同じ政策をもっと呼びかけただけだ。

規定された目標とこれを実証する農業協定の細則を見ると、レミーの三番目の主張、すなわち、農業協定が政府の食料保障を追及することを可能にするということにつながる。ここでも、またレミーは、デ・シュッターの主張を強化するだけだ。開発途上国が食料保障の目的を追求するための「広い余地」は、WTO事務局が作成したペーパーのみに存在する。彼は、例として、農業協定のグリーンボックス(可能な補助金を定義するもの)を挙げているが、グリーンボックスは、大手生産者が安価な輸入品で世界市場を氾濫させる現行の補助金を可能にするため、特別に作られたものだ。これは本来、規制と保護を通じて国内生産を強化する国レベルの計画とは折り合わないものである。価格変動を緩和するための穀物備蓄の戦略的使用は受け入られる、とレミーは言う。しかし、これは緊急食糧援助のためだけであって、貿易のひずみの規制の要素としてではない。それは、巨大な商品貿易業者が世界の食糧備蓄を支配することを可能にする。もちろんWTO規則がそれを許容している。

デ・シュッターは、貿易に反対しているのではない。そうであれば、これは道理に合わないだけでなく、意味がないことだ。また、食料生産に関して完全自給自足を提唱しているのでもない。彼は貿易投資規則を再検討・策定するよう要求している。なぜなら多くの国が国内生産を増加させても、現在そして将来の食料需要に応える能力を破壊され、食料価格上昇と変動性増加に打撃を受けやすいからだ。

彼は正しい。WTOが食料保障を害しているという同様の批判は、IUFや世界食料制度の批評家によって長い間行われてきた。明らかにレミーを悩ませているのは、デ・シュッターが独立した専門家でありながら、この批判を国連システムの内部から行なっているということだ。デ・シュッターは、食の権利の向上におけるILO条約と労働者の権利との関係に力強く焦点を当てている。 「食の権利は、商品ではない。商品のように取り扱うことを止めなければならない」とデ・シュッターは書く。労働運動は大きな声を上げ、確固として彼の活動を支援すべきである。